超時空超巨大小学6年生

ときどき何か書きます。そんなに面白いことのってないよ

お気持ち 20240124

まんがとかアニメキャラクターの格好が話題になるとき、「でもXXXXのXXXXはいらないよね」みたいな話。とっても苦手です。でもその発言自体になぜか批判があったり擁護があったりするんですよね。理解不能です。そのキャラクターがどういう意図をもって作られたのかとかそれは誰のクリエイティビティとか権力があってそういうことになったのとか、多くの場合はっきりしないじゃないですか。作者インタビューとかは一つの根拠にはなるかもしれないけれど、それが100 %その通りであるというようなことは結局わからないじゃないですか。時がすぎれば「実はあのときああは言ったが…」みたいなことってあるでしょうし、別の人に語らせたら全然別の話が出てきたり、単なる勘違いとか盛ってたりとか、全然わからないわけです。なんか話がズレてきてる。「XXXXのXXXXはいらないよね」みたなのって、そもそもキャラクターのある特定のパーツに関して必要とか不必要とか考えるのがだいぶ自分の感覚と違うというか。必要とか不要とかっていったい何に対して、何の目的に対して必要とか不必要とか言ってるんでしょうか。そこがうっすらも見えないのが居心地悪いんですよね。「私が楽しむためにこの要素が」必要とか不必要とか邪魔とか言ってるならそれはそういう人なんだなあで終わる話なんですけど。終わるって議論自体が終わるって話じゃないですよ。私がそういう納得をしてその話題から遠ざかるのに十分な理由ができたって話なんですけど。省略してほしくないんだよなあ。ネットでの話題勝手に見に行っておいて身勝手な話ですけど。なんかそういう曖昧な部分がほったらかしになったままいろいろな人がいろいろなことをガーッって言いまくってて自分だけ置いてけぼりになってる気がしませんか。ちょっと立ち止まってほしい。