超時空超巨大小学6年生

ときどき何か書きます。そんなに面白いことのってないよ

「たのしい」映画『アイアムアヒーロー』観てきた。

 映画『アイアムアヒーロー』観に行った。
 原作は「どうやらゾンビまんがらしい」ということは知っていたが、残念ながら未読。
 花沢健吾の他のまんがもまったく読んだことない。同じ作者でこれまた映画化された『ボーイズ・オン・ザ・ラン』は観に行ったけど。そういえばあの映画、主人公がトラヴィス・ヴィックルになっていたな(主に髪型が)。トラヴィスルックになった主人公の等身大ポップが映画館に飾ってあった気がする。あれが顔ハメになっていたら柄にもなくセルフィしてしまってた気がする。いま観返したらリリー・フランキーに何か不安な影を見てしまうのだろうか。
 ともかく、まんがの方は未読だったがタクシードライバー、ゾンビ、ヒーローというキーワードにつられて観に行ったわけである(タクシードライバーは別作品だけど)。

 ゾンビ映画というジャンルが大好きなのである。
 この映画、まんが原作の実写化映画であると同時にゾンビ映画というジャンル映画でもあるのだ。だから完全にゾンビ映画として観に行った…ゾンビ映画というつもりで観て大事故になってもそれはそれで一興、「たのしい」ゾンビ映画であったら一儲け、興が乗れば映画観た勢いかって原作のまんが一気買いもするのもよいかなと思ってチケット購入に相成ったわけである。

 ーーーはたしてそれで「たのしい」映画体験ができたかというと、うん、とっても「たのしい」ゾンビ映画だったよと観終わってしみじみ思った。

 ここで「たのしい」とわざわざ括弧付きで書いているのは、世の中には観て「たのしい」映画とそうでないものがあって、それは「面白い」映画かどうかってことと分けて考えたいという姿勢の表れなんである。つまり、「たのしい」映画ではあるが「面白くない」映画はあるし、「面白い」が全然「たのしくない」映画があるって自分は思うわけである。
楽しければ面白いんじゃないの? と考えるのがシンプルだし、実際自分もこうやって好き勝手にいつまでも自分の感想だけを書いていい場(つまりコミュニケーションの場じゃないってことだが)じゃなきゃわざわざコムズカシイこと言わないけど、どうやら自分のなかではそういうことになっている…とまあそういうことなんですね。

 面白い映画とは何か? それはとりもなおさず「面白いって何?」ってことなんだが、多分それは「新しい」ってことなんだと思う。
 大学とか(「とか」だ。大学でなくてもいい)で卒業研究なんかやったことのある人なら指導教官に一度は「そのテーマって何が面白いの?」と言われたことがあると思う。あれは「そのテーマは何が(どこが)新しいの」だったり「それやってどういう新しいことが得られるの」という問いかけに他ならない。今までと同じことをやっているものは「新しく」ないしイコール「面白く」ないのだ。 ここで研究とかそういうカタイことに限らず、「新しい」と「面白い」は映画に対しても繋がるのである。
 たかが映画なんだから理屈こねず観て面白いと感じたら素直に「面白い」と言ってもよさそうなものだが、ちょっと待ってほしい。というか自分は勝手にそこで止まります。自分以外の人はどうぞご勝手に。  でもそうじゃないですか、イチからジュウまで「それ前に観たことあるし」って映画、観てる最中何一つ面白くなくないですか? 当然「前に観たことあるし」っていう要素は個人個人違うから面白いもヒトによって違ってきます。「前に観た」けど今回のはもっとハードにキメてていいですねとか、ちょっと前のアレは個人的にはキビシかったのでこれくらいがちょうどイイよっていう「新しさ」もあるわけで、だから何が面白いかは十人十色、ウカツに映画の感想とかよく知らん人と話せませんわー共感全然成り立たねえですわー…と思うワケです。

 で、『アイアムアヒーロー』が面白いかどうかはさておくとして、非常に「たのしい」映画であることは(少なくとも自分なかでは)確信をもって言える。人にソレを言う気が引けないという意味で。じゃあ面白さとは別の意味で「たのしい」ってつく映画って何? と言われるとそれはつまり景気のイイ人体破壊描写があったり、車や建物がポッコンポッコン破壊されたり、度を越した変態やキチガイが出てきたり、血がブシューッとこれまた景気良く吹き出したり、あとおっぱいとか筋肉…お祭り要素がある映画が「たのしい」ンじゃないかなと思うわけです。ヒエーッそんな残酷な映画がたのしいんですか!? と思うかもしれないが、大事なのは「お祭り要素」というトコロで、何か普段見れないものがそこにあるというのが「たのしい」と、そういうことになります。何か普段見れないものというのは映画によってちがっていて、素晴らしい歌やダンスであるとか、美男美女が恋愛しているサマであるとか、その恋愛が破局するサマであるとか、チョー美味そうな料理であるとか、なんかそういう見世物要素が映画を楽しくするという意味だと考えれば、あの映画とかその映画とか楽しくないッスか!?
 で、(何が言いたかったのか忘れたのでもう一度書く)『アイアムアヒーロー』は非常に「たのしい」映画だったわけです。
 散弾で吹っ飛ばされるゾンビ(ZQNと言うらしい)の頭部、頭のイケナイところ打ったかのようなゾンビの痙攣やキモい動き、一見して「あっ、あたまおかしくなった人だ」とわかるショピングモール引きこもりグループのリーダー、ゾンビに勝手に名前をつけて観察、美少女、命の価値がデフレ状態に突入した群衆パニック、序盤で血まみれになって死ぬマキタスポーツマキタスポーツが無残に死ぬ邦画は傑作の法則)、バカでアホで欲望むき出しの凶悪な若者…とうっとりするがところ盛りだくさんの「たのしい」映画でした。

 で(何回めだ。だがしかしか)、面白いかどうかというとこれは難しい。よくホラー映画はその時代を反映した恐怖が意識的・無意識的に表れている、なんてことが言われるが(言われるのですよ?)、『アイアムアヒーロー』にそれがあるかというとそれは多分描かれているゾンビ像やゾンビパンデミックが起きた日本社会の描きかた、キャラクターの行動…というところに着地するのかなと思う。それが映画の手柄なのかそもそものまんがの描きかたからしてそうなのか、っていう切り分けは原作未読だからわからないけど。
 ただまあ出てくる原作の設定からしてそうなのかもしれないけど、描かれるゾンビ像がこれまでと違うというのは明らかに新しくて面白い。ロメロの『ゾンビ』でゾンビがショッピングモールに集まるのは生前の記憶がそうさせているのだ、という説明をもっとパーソナライズしたようなそんな新しいゾンビ像。そりゃ生前の記憶って言ってもヒトによっていろいろありますわよねという理屈で出てくるゾンビは実に多種多様。走るヤツもいれば歩くしかないヤツもいるし、強いヤツもいればそうでないのもいる。総じて振る舞いはキチガイじみているのは生前の有り様が一人一人違うからで説明のつくヤツもいればぜんぜんワケわからんヤツもいる…というような。ここらへん、ゾンビホラー映画として『アイアムアヒーロー』を観るときに(それが原作まんがの手柄だとしても)「おもしれ〜」と思ったポイントなわけです。で、それと同時にもし何かホラー映画としての時代性みたいなものがあるとしたらそれはやっぱりここらへんかなあと思うポイントでもある。
 平山夢明の小説に「いま、殺りにゆきます」というのがあって、これは映画化もされているんですが、『アイアムア〜』に出てくるゾンビってこの小説に出てくる様々なキチガイによく重ねて見ることができるのではないかと思います。「いま、殺りにゆきます」(通称いま殺り)に出てくるキチガイは実に様々な行動で主人公を脅かすのですが、それをするのに理解が一切理解できない感じになっているのですね。なんでそんなことしたいの!? という。ただむき出しの欲望というか妄執というかそういうものが常識的な人々に向けられるとき、何が自分に起こるかどうかとは別の恐怖がある、理解できない巨大な意思がそこに実在する、という怖さ。そんなのがいま殺りのキチガイなんですが、これってものすごく『アイアムア〜』のゾンビに似ている。喋れるし行動もできるけど人間が人間たらしめている脳の大事な部分がバグってしまった怖さ、バグっているからこそ漏れ出てくるプリミティブな思考の残滓。ものすごく怖い。

 あ、ホラー映画としての時代性か…あえて言うならそれは、人間が人間であるというオブラートがなくなったときの個性なんじゃないかと、こう思うわけです。
 ツイッターでもFacebookでもまとめサイトのまとめられたコメントでもなんでもいいんですが、あれらは人間の言うこと本当にとよく似ている。いや実際人間が発したメッセージであることには間違いないのですが。そこに人間性がどれだけ感じとれるかっていう話になってくる。よく見ませんか? あなたそれ近しい人の前で同じこと言えますかっていう発言を。まったく他者に対する共感や想像力を欠いた残酷で無慈悲で人間を人間扱いしていないかのようなそんな発言を。何かに対して機械的に同じようなことを言っている(それはたいていあまり好ましいものとは言えない)、なんでコイツそんなことを言うんだというメッセージを。ネット時代の現代性がーーーと話を進めていくと薄っぺらい現代社会批判みたいになるので嫌ですが、つまり我々は人間が人間と分かり合うためのコミュニケーションの手段を用いて他者との分かり合えなさを認識してしまっていることになる。そう他者とは結局理解できないもの、「人間」を辞めてしまっているモノは理解できない、恐ろしいモノであるということなんじゃないでしょうか。大泉洋の恋人はディスコミュニケーションの末にゾンビ化してしまってるし、マキタスポーツのチーフアシはこれまでの世間で人間扱いされていなかったことの裏返しとして真っ当な人間(ちゃんとした漫画家だ。妻子もいて不倫もできる)マキタスポーツをぶっ殺し、ネットの書き込みに共感して「これからは俺たちの時代だ!」と人間社会の終焉を寿いだのだと思いました。
それが本当に現代性かと言われると書いててなんかちがくね? と今まさに思っちゃうけど。

 概ね「たのしい」映画であるとは思うのだけど、不満に思うこともなくはない。

  • 上映時間長すぎ! 開始30秒くらいでもう社会がしっちゃかめっちゃかになっていたザック・スナイダーの『ドーン・オブ・ザ・デッド』とかと比べるとはやくこんなクソ社会ぶっ壊してくれ! と思うことしきり
  • いよいよパニック状態になってからの大泉洋がうろつきまわる街の光景、あんなにいっぱいの人いったいどこにいたんだ? ってくらい突然の大パニック。角を曲がるたびにどんどん人が増えていくのはなんか不思議〜
  • タクシーに乗ってからの一悶着、すごいがんばってるカーアクションシーンだけどなんかその前後含めて不自然…風間トオル議員のセリフもなんかとってつけ感否めない
  • 有村架純タンが直撃ゾンビ地獄拳を繰り出すところだけなんか別の映画みたい。というか多分原作にある要素なんだろうけど、半ゾンビ状態云々はこの一作に限っては特にいらなかったよーな
  • 長澤まさみ看護師のセリフまわしがなんか変。キャラ付けなのか役作りが変ななのか、なーんか違和感あるんだよなあ(予告編でも出てくる)
  • これも原作要素だから仕方ないのかもしれなけど、この映画主人公を主人公たらしめるためだけにショットガンずっと持たせているというような見方もできなくない…日本では明らかに異物である銃を持っていることの特異性みたいなことがちゃんと処理されているのかいないのか、原作未読だし「主人公はそういう設定」って完全に頭にインプットされているからもうよく分からない
  • 中田コロリ先生は本当にただ出しただけだな! 原作で片桐仁クリソツだからってべつにあいついなくてもいいだろ!
  • でも徳井優が見せたロレックスの使いかたとか、ああいうところは本当いいよね
  • ショッピングモールで出てきた高飛び選手のZQN強すぎ! でもアイツ『ランド・オブ・ザ・デッド』のカリスマゾンビっぽい存在感があっていいよね
  • そもそも大泉洋有村架純タンがなぜ富士を目指すのか説得力なさすぎ
  • ホラー映画ではありがちな、エンドロール後の厭フッテージがあると思って粘ったけど特にない! 続編への煽りもない! もっと見たい(原作はもっと話続くんだろう)!