超時空超巨大小学6年生

ときどき何か書きます。そんなに面白いことのってないよ

なぜ爆笑してしまったのか

 何に爆笑したのか。なぜ爆笑したのか。あるいは、なぜ「爆笑」とコメントをしたのか、何に対してどんな思いをこめて「爆笑」とコメントで表現したのかについて。いまその「真意」を語りたい。

あらまし

 話題の映画『君の名は。』についてこんなトゥギャッターがあったんですね。

 で、例によってこのトゥギャッターをはてブしつつ、他のコメントなんかも読んでたら、こんなコメントがあったのでコメント自体をはてブしたわけですよ。

『君の名は。』を見て感じた気持ち悪さについて - Togetterまとめ

だいたい同意。ラノベ的世界観が世間で難なく受け入れられてるのだなあと。/この種のアニメに対しては常にある程度の諦めと我慢があってそこから作品の評価をしなければならない。ジブリや細田アニメにはそれが不要

2016/09/26 16:50

 こんなコメントをつけたわけです。

だいたい同意。ラノベ的世界観が世間で難なく受け入れられてるのだなあと。/この種のアニメに対しては常にある程度の諦めと我慢があってそこから作品の評価をしなければならない。ジ

爆笑

2016/09/26 18:50

 で、本人からこんなidコールがあって

だいたい同意。ラノベ的世界観が世間で難なく受け入れられてるのだなあと。/この種のアニメに対しては常にある程度の諦めと我慢があってそこから作品の評価をしなければならない。ジ

id:cloq 何がどう爆笑なんですか?他人にそういう言葉を向ける以上、聞かれたらちゃんと説明してくださいね。/家族観は好きじゃないが別の文脈

2016/09/26 19:09

 こう返したわけです。

id:cloq 何がどう爆笑なんですか?他人にそういう言葉を向ける以上、聞かれたらちゃんと説明してくださいね。 - white_rose のコメント / はてなブックマーク

id:white_roseジブリや細田アニメにはそれが不要」と細田アニメを並べてるところですよ! これ以上の説明は必要ですか? 必要ならハイクかブログに書きます/id:white_rose まー書いてみますよ(時間かかるケド)

2016/09/26 19:49

 まあそもそもはてブの個別コメントをはてブするのが特にその人に向けてメッセージを発しているかどうかは個人的には疑問に思わなくもないわけですが(通知もいかないし)、説明しようということになったのですーーー何に爆笑したのか、なぜ爆笑してしまったのか、もう少し説明という話ですね。

もともとのトゥギャッターをどう読んだか

 何かに対して爆笑したこと、なぜそれが面白かったか、ということを説明するのは「サムい」と概して言われてるわけですが、とりあえず「もともとのトゥギャッターをどう僕が読み取ったか」を説明すれば、僕のなかでのwhite_roseさんのコメントの位置づけが分かるかなと思うので、そこから説明します。
 僕の理解のなかで、このトゥギャッターのなかで特に重要なツイートは以下のものです。

 まず最初(どーでもいいけどツイートの引用で前のツイートを表示させない方法ってあるのかね)。

 このトゥギャッターの人の『君の名は。』の嫌いな点はまず、「キャラクターを利用して性の商品化が肯定されている」というのがあると思いました。

 次のポイント。

 この人の『君の名は。』の嫌いな点は、瀧が三葉を好きになる理由が「思春期の男子(男性?)特有の思考(ファンタジー)」だからだ(少なくともこの人にはそのように見えている)というところでしょうか。
 この「ファンタジー」という理由づけは、逆に三葉が瀧のことを好きになる理由として
のように男性にとって都合のよい理由がつけられている(とこの人は考えている、と僕は思います)、というところでも補強されている点ですね。
 少しこの方の文脈から外れるような気もしますが、もしこのような観方をするなら、このファンタジー性が新海誠監督の処女信仰の告白であるように写ってしまっている(というようにこの人が考えている、と僕は思う)、という点も付け足しておきましょうか。

 で、最後のポイント。

 三葉のキャラクター造形は「いかにもアニメ的である(アニメ的記号表現である)」という点が最後のポイントです。

 つまり、くだんのトゥギャッターの人の『君の名は。』の嫌いな特徴は、

  • 性の商品化(の肯定)
  • 思春期男子(男性)特有のファンタジー的思考
  • アニメ的記号表現

の3つと考えるわけです。
 これらを総じて僕は「white_roseさんはこういう点を"ラノベ的世界観"というふうに言ってるんだな」、と思ったわけです。

ラノベ的世界観”

 「ラノベ的」とは何か、あるいはライトノベルとは何か、この点に関してむかし読んでて膝を打った説明があります。大塚英志は『キャラクター小説の作り方(角川文庫)』という本のなかで“スニーカー文庫のような小説”とは何なのかを次のように説明をしています。

つまり、「スニーカー文庫のような小説」はアニメやコミックという世界に存在する虚構を「写生」する小説だ、とぼくは考えるのです

 大塚は「スニーカー文庫のような小説」というイメージを挙げてそれを「キャラクター小説」と言っているわけですが、これはそのままライトノベルと言ってしまっても良いと僕は思います。大塚が『キャラクター小説の作り方』を書いたのは2003年で、そのときの“スニーカー文庫のような小説”のあり様と、現在のそれではおそらく若干違うところあるとは思いますが、おおむね同じだとここではみなしたいと思います。
 また大塚はこのようにも書いています。

スニーカー文庫のような小説」にアニメやコミックふうのカバーがついているのは、この小説が現実の原理原則ではなくアニメやコミックというジャンルが内包する仮想現実の原理原則に従って書かれているのだ、ということを暗黙のうちに示しているのです

 まとめるなら僕は「ライトノベルとはアニメ的な”リアリティ”を書いた小説のことである」と大塚英志は定義しているのではないかと思います。ラノベ的世界観と聞いてまっさきに考えたのはこういうことでした。つまり、『君の名は。』にラノベ的世界観がある、というのはもっともな話で、それはそうだろう。だってアニメなんだから。という話になります。少なくとも僕にとっては。
 もし、「君の名は。」というアニメ映画ラノベ的世界観と表現するのなら、そもそもラノベとはアニメ的な世界やキャラクターによって構成された小説ジャンルであり、主従が逆というか、アニメがライトノベル的であるのは当然という話に思えます。ここが1つwhite_roseさんのコメントに感じた面白みです。有り体に言って爆笑してしまう。

 「ラノベ的世界観」という言葉それ自体から受けた僕の印象は上記のとおりですが、では先に挙げた3つのポイントをもってラノベラノベ的世界観)の特徴にしていいかどうかに関しては、どうでしょうか。多少無理があるかもしれません。というのも、僕はライトノベルとかほとんど読んだことがないからです。少なくともシーンを俯瞰した何か全体論みたいなことはよく分かりません。当然、この3つを兼ね備えていれば「ライトノベル的」と言っていいかも正直分かりません。しかしまあ、『君の名は。』という映画がライトノベル的世界観(もしくはライトノベル的特徴)でできているという観方は、大塚英志によるキャラクター小説の定義という文脈はともかくとして僕の皮膚感覚としては、おおむね同意できなくもありません。さらに、大事なのは「white_roseさんの読み方、と僕が考えていること」がそうであるということです。

君の名は。』嫌ポイント2/3とそのほかのアニメ映画

 じゃあアニメ映画については俯瞰的な何かを言えるかというと、そういうわけでもないですが。
 宮﨑駿(ジブリ)・細田守の映画については少なくとも実際に觀たことがあるのでwhite_roseさんのコメントにおける比較には思うところがあったわけです。
 僕はくだんのトゥギャッターの人の『君の名は。』の嫌いなところが上記のようなポイントだと読んだわけですが、さらにそれに対してwhite_roseさんは“*諦めや我慢が必要である”との考えを持っている、とも読み取りました。ところが、それらが必要でないアニメ(アニメ映画)の例として挙げているのが、ジブリ映画に並列されて細田守の映画も挙げているというところが僕の爆笑した点です。
 たぶんそれ、すぐに思いつくだけで細田守のアニメ映画にもあるよな? というところで、『サマーウォーズ』とか『おおかみこどもの雨と雪』とかで考えてみたい。あと、「性の商品化」というポイントは特に思い当たらなかったので、オミットします。細田守の映画はいつも性的だな、(細田監督の)性的なものの見方が溢れているなとは思ってるけど

サマーウォーズ』ナツキパイセンって思春期特有のファンタジー的要素をいっぱい詰め込んだキャラクターに見えますけどね。

 学校内でアイドル的な人気のある美少女の先輩って全然アニメ的なんですけど。よく知らない人だけど合ってみたらものすごい美人だったとかなら、まあ。あとその先輩から「フィアンセに偽装して実家まで連れて行かれる」っていうのもいかにもアニメ的に見えますけどね。というか、イマドキ、日本で「お婿さん」を高校生の時分から決めておかないといけないようなお家って、そもそもが極端な設定だと思います。アニメっぽいと思いませんかね。
 こんな美人のパイセンに「お願い」されてフィアンセを装ったり、お家の事情に深く関わったりしたりしてパイセンとの仲が深まったり信頼されたりしないかなあという思春期特有のファンタジーにも見えますけどね
 あとこんな美人のパイセンがファザコン的な思い方で自分の叔父が好きっていうような感じを匂わせているのは、細田監督の考えた「かっこいい大人」的なキャラクターがそのまま異性から見ても(男性的な)魅力があるっていう図式になっているようでよく考え…なくてもまあそのなんですか、気持ち悪いと思います。そこがアニメ的かどうかは置いておいて。  

サマーウォーズ』のキャラクターの絵はアニメっぽい

 『おおかみこどもの雨と雪』もそうですけど、そもそもがキャラクターデザインやってるのが貞本義行なもんで、そのキャラクターはアニメ的記号表現をまとったアニメ的キャラクターにしか見えませんね。それがどれくらいキャッチーかどうか(わかりやすい萌絵的キャラクターデザインになっているか)というのは個人の見方で差があると思いますけど。コスプレ感があるかどうか、という話ならば「そのキャラクターであるとわかる記号」があるかどうかで、池沢佳主馬とか特にそうじゃないかと思うわけですよ。  池沢佳主馬に関して言うのなら、切れ長の目をしたタンクトップのよく似合う、日焼けしたゲーマーでしかも声がkawaii中学一年生男子とか、逆にアニメでないと成立しないキャラクターではないですか。さらに、ナツキパイセンの場合でもまず白いワンピースが大変よく似合っている…というのはそこらへんのアイドルとか使えばいいかもしれないですが、こやつめが花札やるときのアバターときたらケモミミまで生やしておるわけで、大変アニメですよね。コスプレもさぞしやすいものと思います。  

サマーウォーズ』の世間の狭さには恐れ入っている

 上でまとめた嫌ポイントからはちょっと外れますけど、サマーウォーズの陣内家のみなさんがそろいもそろって町の名士だったり公務員だったりするのにはちょっとご都合主義を感じざるを得ないわけでして。そこのところキャッチフレーズに“人類最古のネットワーク。「家族」の力”って書いてあるのにはなかなかの欺瞞を感じるわけであります。『サマーウォーズ』の劇中で起こる様々がトラブルはこの“「家族」の力”という事実上の社会的ポジションの利用によって収束する展開は、まるで世界の中心に働きかけ得る存在がこの家族しかいないかのような印象すら受けるわけです。そんなわけで、『サマーウォーズ』はなんかちょっと自我の範囲が拡大したセカイ系と言えるんじゃないかなと僕は思うわけなのです。当然、それは非常にアニメっぽいと言える。
 あとこれは『サマウォ』公開時からさんざ言われてることですが、やっぱり陣内の家の女性たちがそろって家事をしている一方で男性たちがなーんもそれしてないってところは、アニメやラノベ(に限らないのだが)でよく描写されがちな父親・母親の役割分担にキッチリ当てはまってしまっているという点は触れておいたほうがいいでしょう。「その構図はまさに日本での典型的な家族感を反映したものだ」と言われてしまうと、話はアニメやラノベだけに収まらなくなってきますが、アニメ(Anime)が日本製のアニメーション作品を指し示す言葉であることに遡ると「サマウォはアニメ的」と言えなくもないと思います。主人公の健二くんにとっては陣内の家の人たちは他人であり、健二くんの家族は作中不在ですし。

『おおかみこどもの〜』の家族の作り方がそもそもDTっぽくない?

 童貞の考えた家族の作り方ファンタジーっぽいですね(童貞に対する風評被害)。
 大学で偶然出会った2人がたまたま学生社会のアウトサイダーで(こどもたちの父親である大沢おおかみおとこは学生ですらない)、恋に落ちるところまでは理解できなくもないが大した葛藤もなく種族の垣根を超えてこども作るとか、エロゲ(のエンディング後のテキトーなアフターストーリー)か
 ストーリー的には大沢おおかみがその後唐突に死んでからが重要だとは思うものの、ふつうは、少なくとも僕が普段見てるようなアニメやラノベでないものでは、もっとそこにありとあらゆる葛藤が詰め込まれるもんだと思いますがこの塩梅がアニメ映画であるという理解で観てしまいましたけどね。アラサーおじさんよくご存知のKeyのゲームなんかこれっぽいんですよね。

ということで

 細田守、というかサマウォが中心になってしまったが、のアニメ映画も僕から見れば「アニメ的」=ラノベ的世界観でできている。なので、『君の名は。』に“ラノベ的世界観”を見出して細田守の映画にはそれがないというのはちょっと同意できないものがある。
 そもそも僕は、ラノベとはアニメ的なリアリティを書いた小説であるという説明に深く同意するものであるから、アニメ(映画)は本質的に“ラノベ的”であるとも考えます。そういう意味で『君の名は。』と細田守・宮﨑駿の映画はまったく同じであり、あえて『君の名は。』をそこから外す感覚は僕にとって面白みのあるものということになる。

 こんなところが「爆笑」と書いた理由です。
 あと別に嘲笑はしていませんよ。単に面白かったから素直に爆笑と書いたまでです。
 あなたのコメントに対して嘲笑うというか、軽蔑することは他でありましたけどね。