超時空超巨大小学6年生

ときどき何か書きます。そんなに面白いことのってないよ

セイマイネーム『君の名は。』観た感想

 『君の名は。』を観た感想メモしておく。忘れないうちに。

 はじめてこの映画の予告編を観たのがいつだったか忘れたが、『シン・ゴジラ』を観に行ったときにはすでにもう何回かは観ていた、と思う。 予告編を観るかぎり、正直あんまり自分から進んで観に行きたいと思うような種類の映画だなとは思っていたが、これだけ話題になっているし日々Twitterや増田でネタバレ含みの感想が流れてくるのをスルーするのはなんだかもったいない気がしてつい映画館に足を伸ばしてしまった。第一、自分の住んでるところには映画館といえばイオンシネマが一軒あるだけで今はもうあまり観たいような映画も残ってない。最近だと『ゴーストバスターズ』が観たかったがちょっと気を抜いているうちに公開は終了してしまった。

 事前に知っていた情報といえば、監督が新海誠であること、男女の入れ替わりストーリーであること、しかしコメディではないらしいこと、どうやら思春期のカップルが一緒に観に行くのに最適なデートムービーとして受容されていること、ぐらいな薄ぼんやりした認識で観に行った。他の何か重要そうなこと、ありていに言ってネタバレ情報も目にした気もするが、それは都合よく忘れて観に行くことができた。ほどよく興味なかったわけである。入れ替わりを話のエンジンにした思春期男女の交流や相互理解(があるとして、それは)はそれなりに爽快かつ切ないだろう、新海誠特有の背景と今風のアニメキャラクターの取り合わせは観ているだけでそれなりに退屈しないだろう、RADWIMPSのテーマ曲も映画を観る前と後では聴こえ方が変わるだろう…とは思ったわけだが。映画自体にはあまり興味を引かれなくて、みんなが観ている(そしてそれなりにその映画について何をかは言っている)というその一点だけが唯一興味を持った点だった(みんな、とウカツに書いているけどマジで自分の身の回りの人が観ていてちょっとビビってる)。

 もとより日本の商業アニメ最前線みたいな絵柄のアニメーション映画には興味なかったわけだけどはたしてーーー。

 まず映画のオープニングで驚いた。これはまるでテレビアニメだな、と。思わせぶりなモノローグから始まってこれからの展開を思わせるような絵の連続からして、最後はここに繋がるんだなと思って観ていたわけであるが、主題歌のかかるまさにアニメのオープニング。細かいところは忘れてしまったけれど、主題歌に合わせて流れる映像はその編集の仕方がものすごく「アニメ」っぽい。強調される髪を結んでた紐をほどく動作とかあれやこれやとか、ここがキーですよと言わんばかりに特徴づけられるのが、まず始まって感じた違和感でありこの映画の特徴なのかもしれない…。よく見ると画面のサイズもふつうの映画と違うことに気づいた。これはもしかするとお家のテレビ画面やPCモニターと同じアスペクト比? 俺は正しく「アニメ」を映画館に観に来ているんだなあと思った。

 瀧と三葉が入れ替わり現象を認識して、お互いに交流を深めていくところはかなり面白く観れた。いつかのタマフル宇多丸が「それまで分かり合えなかった二人が、相互理解の入り口に立つところが映画の最もときめく瞬間」みたいなことを言っていたが、これがまさにソレだなあと思った。互いの立場状況を認識し、意思疎通の方法を開発し、理解し合っていく(もしくはその第一歩を踏み出す)。このくだりに入って「あ、この調子でずっとこれを観続けていたい」と映画が始まってからようやく思えるようになった。  そこに至る前段階は観ててかなり辛かった。ちょっと前に増田で話題になった「映画とかで主人公が恥をかくシーンを観てられない」ってやつだ。男女の精神的入れ替わりが起これば、それは必然的に起こってしまうだろう。というか、別に男女でなくてもいきなりまったく知らない人のフリをしなくてはならない状況になったら、周囲の状況にどうしても合わせられなくてふるまいを失敗してしまうだろう。それは、この映画が最初からそういうことが起こる映画だという時点で避けられないところではあるけれど。あと、ベタに男が精神だけ女性の体に入ってしまったらやっぱり胸は揉むでしょ? みたいな描写はいまさらながら観てて「どうなの?」とは思った。いや、三葉 in 瀧の方の描写も基本的には「どうなの?」と思ったわけだけどさ。もっと深刻に考えてほしい。いきなり自分の性別変容して(いるようにしか思えないと思う)いたら、最初注目するところはソコ? 俺自身は男だから自分の身体にない部位は興味あるけどさあ、ソレって本当に自分の身体にあってもそこまで興味持てる? みたいな。三葉 in 瀧でトイレ問題が出てきたよ思いきや「ものすごく恥ずかしかった」というような描写で解決してしまったところとか。すごくディティールが気になりますね。それを変に凝って描いたりするとコメディっぽくなってしまうのだろうか。うーんやっぱりこの映画キレイキレイであんまり興味持てない。

 この映画、三葉と瀧の入れ替わりが話を進めるエンジンになっているわけだけど、それが二人の恋愛関係を形成するのに奉仕しててそれぞれのキャラクターがどう変容していくかっていうところには働いていないっていうところは観終わって気になったところ。例えば、三葉の父親との確執は話に関係あるようで関係なかったように思える。瀧と入れ替わることによって、あるいはその経験を経て三葉が父親との確執を乗り越えられる、解消するみたいなことが起こるのかな、それが最後の隕石落下でのいかに村の人々を避難させることができるか、みたいな構造になるのかなと思って観てたわけだけど、それがなかったのには随分と驚かされた。三葉が入れ替わりを経て得たことって瀧と出会って(出会ってないけど)好きになったくらいしかなくて(本当は九死に一生を得てるわけだけど、それはまあいいじゃない)、これって本当に青春恋愛映画なんだなあと思った。瀧くんの方もだいたい同じで、こっちはさらに元々の生活で抱えている問題はないときた。奥寺先輩のことが好きだったけど三葉のことが好きになりました、は恋愛映画としてはむしろそのルート宿命づけられているようなもので、やっぱり彼も入れ替わりを経て得た精神的なものって「三葉のことを好きになった」くらいしかない。入れ替わりを経て(別に恋愛関係にならなくても)それぞれが抱えていた問題が解消されるみたいな話、ありていに言って精神的に大人になる、を観る前は想像していたけど、そこは良くも悪くも青春恋愛映画って感じで、なるほどここがウケているポイントのかな、と思った。

 入れ替わっている途中で時間のズレにどうして気づかないの? っていうところに関しては劇中はっきりと「夢を見てるような〜」というふうなセリフが言われていたのであまり気にならなかった。観てる最中の感覚的なものと理屈は違うかもしれないけど、寝ているときに見ている夢ってディティールの妙さはあまり気にならないし、なかなかどうして、時間のズレに気づかない説明としてはまあ一本筋は通ってる。そんなものか、と思いながら観れた。瀧の認識が揺らいで、三葉のつけていた日記が読めなくなるあたり、糸守の人々が実は全員亡くなっていることが分かるところはもっと怖くしてくれた方が好みだけど。徐々に「あ、もしかするとそういうことなのかも」っていう助走があったのでそんなにショックを受けれなかった。急転直下で文字通り世界が暗転するみたいな感じの方が好きだな。

 タイトル通り、名前にこだわった作品ということで観てる最中ずっと頭に浮かんでいたのがブレイキング・バッドのこのシーンだ。

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 と思っていたらこんなNaverまとめがあって、笑った。いや、これタイムラプスがなんとかとか言ってるけど、『君の名は。』と『ブレイキング・バッド』の関わりはそんな表面的なものだけじゃないないと思うッスよ。

matome.naver.jp

 劇中、てっしーもハイゼンベルクに言及(エベレットの多世界解釈と言ったことはハイゼンベルクと言ったも同然)してたし、田舎で行き詰まっている主人公が違法なモノを作って大儲けっていうアイディアを出すってところも、もはや『君の名は。』というタイトルは"Say my name"と対応させてつけたとしか思えない。ファイナルシーズンの合言葉は"Remember my name"だし。

 You're goddamn right.