超時空超巨大小学6年生

ときどき何か書きます。そんなに面白いことのってないよ

あなたのための「幸福とは何か」

あなたは今日も自分が幸福ではないと考えている。
いや、今日も幸福になれなかったと考えている。

あなたのこの一週間は最悪だった。
月曜日にはあなたのボスが火曜日の会議で使う資料の作成を、帰宅後に命じられた。
火曜日には東京へ出張した帰りに、コードを書いた人物が死んでしまったためにブラックボックスと化したプログラムを「なんとか別のPCで使えるようにしてくれ」、と頼まれた。今週末までに。
水曜日には事務方のミスで紛失した提出書類を、微修正とともに5回も持って行ったり持ち帰ったりを繰り返させられた。木曜までに作成しなければならないデータを作る邪魔だった。
今日あなたは作成したとあるデータをプリントしようと大型プリンターのある部屋まで行ったが、夏前に故障したFUJI XEROX製のそれはまだ修理が終わっていなかった。おかげで別の部署所有の大型プリンターを借りて印刷しなければならなくなったが、なぜかそれは最新のドライバをインストールしてもまったく微動だにしない。おかげで昼すぎから印刷すれば多少トラブっても夕方前には終わるだろうという目論見のもとに予約した映画のチケットは無駄になってしまった。そして、あなたはまだそのプリンターの前でこのブログを書きながらどうしたものかと家にも帰れず困っている。

幸福とは到底思えない。

あなたは今日も先週TSUTAYAで借りた8枚のDVDのうち1枚をも観ることはできないだろし、ここ数日忙しさのあまり食生活は最悪だ。
気がつけばコンビニくらいしか開いていない。あなたはもういい年齢だというのに学生時代と同じ食生活を送っているから、いまだに吹き出物は顔に出るし、腹も出る一方だ。そのことが厭で多少の運動も始めてみたものの、それもこの忙しさでせっかくの決意も台無しだ。

食事は三食欠かさずとっている。コンビニで買ってきたもの、だけど。
貧しい食生活なのかもしれない。あなたが好んで作る中華料理やカレーなどを食べているときに比べたらーーーいい年の独身男が、自分が食べるためだけにあまり品揃えの良くない地方都市の平凡なスーパーで揃えた食材で作っているから、それだってそんなに有り難みのあるものではないのだろうけど。

たしかに、豊かではない。食事をする際の精神的余裕ーーー食べるまでの過程、何を作ろうか吟味して食材を選び、キッチンで調理して、出来上がるまでの時間にお皿に乗ったものを想像するところまでを含めて。

何が食べたいか、食べたいものを買って食事のできるところまで帰るその道程。
あなたのつい先程コンビニエンスストアで買ってきたものは、あなたのお気に入りの標品である。
あなたはこんな何もかも思いどおりにコトが進まなくて、余裕がない夜にも食事だけは、まだ自分が楽しむことのできる優雅な時間だと考えることができている。いつもよりは限定された選択肢しかない、たった一件のコンビニではあるけれど、あなたは何を口にしたいか想像を働かせ、それに最も近いものを探し、あるいは意中のものがなければどうしたら代替でも自分が満足するか選択に工夫を凝らし、買い物を済ませた。

コンビニからまた暗い印刷室に戻る道すがら、あなたは少し楽しかったはずだ。

あなたは「幸福を感じることができなくなっている」ーーーこういう言い方もあるだろう。
幸福の感度。
幸福の閾値がもし不変であるなら、あなたをとりまく状況からあなたの抽出する幸福の量自体が減っていることになる。
だが、あなたを取り巻く状況や環境といったものはそんなに変化しているのだろうか。
あなたは振り返って思い出してみる。

もし、あなたを取り巻く環境がずっと前からこうであったとするなら、あなたの幸福に対する閾値が上がっているだけなのではないか。
順応とは、そういう現象である。

あなたは食事をすれば美味しいと思えるし、腹も出るくらいには食べるのに困っていない。一応、仕事もあるし、現にしている。だから給料が出ている。残業代も僅かながら貰っている。本も漫画もビデオも、滅多矢鱈には買えないが、選んで買えば満足もできるし、第一そんなにたくさん買っても消化しきれない。

幸福とは、受け取る側の問題だ。とは詭弁なのかもしれない。
使い方ーーーというか、誰がどんな意図で言っているのか次第なのだと思う。
けれど、あなたがそれをあなた自身に向けて言うかぎりにおいては、それは有効だ、とあなたは考えている。

そもそもーーーあなたが幸福だと考えるのは誰でもない、あなた自身でしかない。
あなたはあなたの状態、環境、境遇を幸福だと考えてもいいし、不幸だと考えてもいい。それは他の誰にも関係のないことのはずである。
どこかの誰があなたを不幸だと考えていてもあなた自身が幸福だと感じるのなら、あなたにとってはそのように考えるほかないのだ。
要は自分次第なのではないか。
あなたの幸福はあなた以外にはあまり関係ないのだし、誰かと比較しても意味がない。あなたは他人の幸福を感じることはできないのだから比較のしようがない。

だから、あなたはあなたが幸福だと感じるように考えていかなければならないのだ。あなたがそれを求めるのなら。